自分のこだわりに出会うために

本日は、前回の「小さなアクションから、都市を変えていく」の続きをどうぞ。  

「都市戦術家」という肩書きで活動する泉山塁威さん。総称して掲げている肩書きの背景には 、何かをするためではなく、どうありたいかがあると話します。

「今の働き方に興味を持ったきっかけは、『タクティカル・アーバニズム』という考え方に共感したのがはじまりでした。
日本語で言えば『戦術的アーバニズム』といいますが、いわゆる小さなアクションから都市を変えていくといった考え方ですね。

「また、僕が都市計画を学んでいた2000年代、小泉政権により都市計画の規制が緩和されていく流れが大きく、規制緩和をする中で都市計画を学んでいました。
池袋のプロジェクトを終えた頃、社会実験などのプロジェクトをやっていく中で『タクティカル・アーバニズムをやる人』を日本語でどのように訳せばイメージに近くなるかと考えていました。
よくレジェンドの方で都市計画家と名乗る方がいらっしゃいます。規制緩和の流れもあって「都市計画家」を意訳して「都市戦術家」として名乗ることにしました。
結局は、何かをするための肩書き(Doの肩書き)というよりも、自分がどうありたいかを肩書き(Beの肩書き)で表したほうが良いんだろうなと考えていましたね。」 



さらに振り返って、エリアマネジメントの領域に興味をもったきっかけについても伺います。 
 
「思い返すと、大学院の修士論文だったのが起点かもしれません。2000年代後半の就活中、リーマンショックが起きたんです。そんな時世に高層ビルをつくる仕事がこれからもあり続けるのか不安に感じていました。」  

「同時に、大手企業が開発だけではなくて、丸の内の仲通りなどエリアマネジメントの手法で、エリアの資産価値をあげる取り組みが増え始めてきたんです。当時は福岡の天神や東京の大崎、秋葉原など、事例は数える程度しかなかったんですよね。
発展途上のエリアマネジメントの状況の中、修士論文としては満足のいく論文とまではいかなかったんですけど、実感としてこれからは開発だけでなく、運営など街を育てる時代になっていくだろうなと思い、生涯かけてやって行こうと決めました。」  

そんな泉山さんがsomemoreと出会うきっかけについても詳しく聞きました。  

「主催の滝口さんがsomemoreを立ち上げられた時に、フェイスブックの投稿を目にしたのがはじめかもしれません。

仕事柄、服装って仕事着とプライベートは変わらないんです。
形式的に大事な場面でしかネクタイは付けないですし、ジャケットも最近になって羽織るようになりました。
だからといって個性的すぎる服を選ぶのもどうかと思うので...ここまでは良いだろうと、自分なりにバランスをとっています。」  

そんなときに出会ったのがsomemoreだったんですね。 

「そうですね。自分の中で絶対にこのブランドしか着ないというようなルールがあれば楽なんでしょうが、
現状、そういったブランドにも出会えていなくて。somemoreもはじめはそうだったな。」  

実際に手にとってみてどうでしたか? 

「僕、けっこう肩幅があるんですよ。あと、だいぶ絞ったんですがまたお腹も出てきて...。
なのでブランドによってはLでも時々小さいかな?と思うことがあるんですね。
かといってXLを選ぶと逆に大きすぎたりして、サイズ選びが難しい体型なんです。
somemoreのシャツはサイズも肩幅も特に問題なく着れてますね。」  

somemoreの服は、動きやすさを重視するためにすこしゆとりを感じるような構造で製作されているとのこと。
普段Mサイズを着ている人でもSでピッタリということもあります。 

「あとは、ワンスパイスというか、白シャツ1枚とってもよく見ると特徴があるんですよね。
somemore特有の柄っていうのがありますよね。そういった服にはなかなか出会えてこなかったので、面白いなと思ってて。
僕もsomemoreの白シャツはよく着ていますが、白の中にも切り返しがあったりとこだわりを感じられるんですよね。」  



見れば見るほど、服の中にたくさんのちょっとしたこだわりを感じることができる。 

「かしこまった会議などでも着れますし、結婚式のような場面でも着ていくと思います。」 

今回泉山さんが来ているシャツは『maetate-caffsパッチワークシャツ』。
  
レンガやタイルのような四角いパーツを組み合わせたデザインの中には、モノトーンでシンプルながらも遊び心が感じられます。
緑のカーディガンとも合っていますね。

「ありがとうございます。緑が好きで、ウェブマガジン『ソトノバ』のサイトにも深緑色を使っていて。

緑系統の服を着ることが、だんだんワークウェアになってきてますね。」 
 


最後に、somemore(=もうちょっと)にちなんで泉山さんのもうちょっと先のことについてお伺いしました。  

「これまでは一時的な実験に近しいことだったり、単発で関わることが多かったんですが、
自分が理想と思える場所づくりをイチから手がけてみたいですね。
場所も地域も都市も、やっぱりそこで暮らす人々の日常がなによりも大事だと思うので、
日常を豊かに過ごせるような場所づくりにより関わっていきたいなと思っています。」  

「あとは1つの地域にどっぷり浸かって、都市とパブリックスペースを変えていく関わり方を探っていきたいなぁと、ぼんやり考えています。」  

取材協力:東京ポートシティ 竹芝
Photo:小財美香子 Text:浦川彰太

小さなアクションから、都市を変えていく

『今回はこちらで取材をおこないます。』
somemoreを主催している滝口さんから送られてきたサイトのページには、「東京ポートシティ竹芝」という場所について書かれていました。さらに読み進めていくと、『...自然豊かでゆっくりできる東京のスキマ。』という一言に目が止まる。

そう書き綴っていた方は、「都市戦術家」なる肩書きでさまざまな活動に取り組んでいる泉山塁威さんです。

東京の「スキマ」や「都市戦術家」という肩書きについて。そして普段着ている服についてなど、泉山さんのsomemoreを伺いました。 



新橋駅からゆりかもめ線に乗りかえ2駅、竹芝駅に到着します。新幹線や空港など、多くの方が利用する浜松駅も歩いて8分ほどの場所にあります。

あまり馴染みのない駅でしたが、降りてみると自然が多く、ベンチでくつろいでいたり、屋外で仕事をしている人の姿が印象的です。

歩行者デッキを歩いた先に、東京ポートシティ竹芝があります。

竹芝は東京のウォーターフロントの一つのエリア。ソフトバンク本社移転や竹芝駅と浜松町駅が一つのデッキで結ばれることでも注目の開発プロジェクトです。2階から6階には、緑が生いしげるスキップテラスが広がります。ビルの真ん中なのに、木々に囲まれた空間にいて、遠くを見れば海が広がっている景色。すこし不思議な感覚になります。

気持ち良い日差しが入るテラスで、さっそく話を伺います。

 「竹芝エリアに関わりはじめたのは2018年頃からで、僕は竹芝エリアマネジメントのアドバイザーとして参画しました。そもそも、ポートシティ竹芝があるこの土地は東京都のもので、ここを民間事業者が70年間かけて開発・運営するというプロジェクトでした。地域を会社に見立て、どのように経営・マネジメントしていくのかを、70年間という期限を条件として取り組んでいます。」 

70年ですか。正直あまり想像できないですね...。 

「そうですよね。70年後ってここにいる多くの人はいないと思います。 まだ時間はかかると思うのですが、公共空間をいかに活用できるかが竹芝エリアにとっては重要になってくると思います。」 



さらに、竹芝の未来を描く中で見えてくることもあったと話します。

「70年間もの歳月をかけてどのような地域に育つのか。東京を街ごとの単位で見ると、お台場ほど海沿いに行かなくても海があって、オープンスペースもたくさんあるこのエリアは近隣に お住いの方がほっと一息つきに訪れたり、あるいはデジタルデトックスじゃないけれどゆっくり休憩しにくるみたいな安息の場になれば良いのかなと考えています。」 

「そういう機能を担う街が銀座にもほど近い距離にあるということは、東京の『スキマ』といえるんじゃないかなって感じたんですよね。」 

取材をしている今日も、利用している方々は各々の目的をもって、この場所をうまく使っているような印象がありました。 



様々な活動をおこなう中でも、ターニングポイントだったプロジェクトが2つあったと話してくれました。

「ひとつは兵庫県はJR姫路駅北駅前広場を利用したプロジェクトですね。駅前広場って基本的にはバスやタクシーのロータリーを中心とした配置が大半ですが、
市民も観光客もおもてなす広場というコンセプトのもと、市民が安心して過ごすことができる駅前をつくろうというビジョンを掲げ、活動を進めてきました。
たとえば駅前広場の半分ほどのスペースに芝生が生えていたり、半地下広場を中心とした空間 、水が流れるスペースを設けるなど、市民が集える広場を中心に整備されました。
ただ整備をして終わるのではなく、行政と市民が協働で取り組むことで実現できたプロジェクトになったことや、
市民が広場の運営主体となり、自ら愛する広場をつくるための運営に携わることになったこと、
なにより本プロジェクトに終始関わらせてもらえたことは自分にとってとても大きな経験でしたね。」 

「もうひとつは池袋東口のグリーン大通りでオープンカフェの社会実験に関わる機会をいただけたことです。2年間という期間限定で道路空間を活用する社会実験を行いました。どのよう にオープンカフェを運営していくかの議論を誰とするかが重要ですが、誰よりもカフェテナントの皆さんが一番乗り気で参加をしてくれたのです。」 

「オープンカフェ社会実験の運営について議論しながら実験をし、地域の方々にも実際に体験してもらうことで実感をしてもらえた。会議に時間をかけることも大事ですが、それ以上にアクションしてみたほうが早いことを経験しました。ここでの経験が、のちにタクティカル・アーバニズムと共通していることだったり、今も継続して取り組んでいる、パブリックスペースに特化したwebメディア「ソトノバ」をはじめるなど、都市を豊かにする様々な活動を行うきっかけとなったプロジェクトです。」 

小さなアクションからムーブメントを起こし、都市を変えていく。

街や地域の未来を見据える泉山さんの言葉と行動には、穏やかさと心強い存在を感じました。 

(次回に続きます) 

取材協力:東京ポートシティ竹芝
Photo:小財美香子 Text:浦川彰太

「話せば短くなる」

前回の『展示について話してみる』から、話題は普段着る服装について。

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この「話せば短くなる」の作品集作りに携わらせていただき、実際に山口県にある工房へ撮影に伺ったのですが、その時の服装がとてもお洒落で印象的でした。勝手に、こだわりがあるんだろうなと想像していて。

原田和明さん:肌触りがいいものが好きです。割と服のこだわりは強いかもしれません。気に入ったら同じ服を何枚も購入して、着回します。

制作時の作業着も決まっているんですか?

原田和明さん:制作中は木屑や埃まみれになるし、接着剤とかついて服が破れることもよくあるので、基本的には身軽な格好で作業しています。でも、あるときアルベルト・ジャコメッティの写真集を見ていたらジャケットを着て制作をしていたんです。ジャケットに石膏とか汚れがこびりついているのにおかまいなしで「なんてかっこいいんだ!」と思って、僕も試しにジャケットを羽織って働いてみたんですけど、汚れは気になるし、動きにくかったのですぐにやめました。工房でお洒落をするのは、設計作業でパソコンに向かうときなど、服が汚れる心配がなく、なんとなく気分を盛り上げたい日だけです。

原田めぐみさん:ふと覗くと、たまに急にお洒落をしている時があります。(笑)

形から気持ちをつくることが多いんですね。

原田和明さん:そうですね。まだ工房にエアコンがなかった時、工房の前面がガラスなのでものすごく暑くなっていたんです。そこで、アロハシャツを着てロコモコ丼を食べて「ここはハワイだ!」って思い込めば、少しはこの暑さも楽しめるんじゃないかって試したんですが…「楽しくねえよ!」って、これも長続きしなかった。(笑)



いま着ている「somemore」シャツの着心地はいかがでしょうか?

原田和明さん:着心地最高です! しかも気分を盛り上げるにはぴったりだし、仕事で人に会うような時とか、ちゃんとした人に会う時に良いですね。

お相手がスーツを着ている場合などですね。

原田和明さん:僕がスーツを着るのもやりすぎな気がしてなんだか不自然。かと言ってTシャツに短パンだと「こいつと真面目な話はしたくない」ってなりそうで。相手にも良い印象を持ってもらえそうだし、自分もちゃんとした人になった気持ちになれる。いざというときに気持ちを切り替えられるスイッチのようなシャツです。

原田めぐみさん:着心地が良い上に、ほんのり遊び心もあって、そのさじ加減が絶妙です。階段の形のような服のパターンも、カラクリで階段を作ったりする私たちにぴったりな気がしました。

そう言っていただけると嬉しいです。その辺りは意識して作っているので。


原田和明さん:「somemore」という言葉は、僕の中では「付け足す」ってよりも、色々なアイデアの中からどんどん引いていって、引いていって…最後まで残ったもの、です。
普段は工房に籠っていて人に会う機会も少ないので、新しい服を買う必要性ってあまりないんです。それでも「これはどうしても欲しい」ってなるときがあります。「somemore」のシャツにはそれを感じました。本来無くてもいいはずなのに、持っていたいと思わせる「理由」とか「違い」が「somemore」なのかもしれないですね。そういう点では、僕たちのもの作りとも共通しているような気がします。

原田めぐみさん:確かに「somemore」の服もオートマタもシンプルなものが多いですが、削ぎ落とし切れない何かを感じますよね。

原田和明さん:オートマタも最初の段階では「ここどうする?あそこはどうしよう?」と足し算で考えます。だけど、徐々にどれだけ引いても作品として成り立つかを考える段階に変わってくるんです。伝えたいことを伝えるためには、盛り込むよりむしろ省いた方が届きやすいのではと思います。それで結局いつもシンプルになるんです。somemoreのシャツにも、同じような空気感を感じます。これ以上引いても、これ以上足しても面白くない、絶妙なsomemoreを。



最後に、somemoreな目標について教えて下さい。

原田和明さん:今回、「ちゃぶ台返し」のような作品を初めて発表してみて、非常に手応えを感じました。今後もゲーム要素があってお客さんが夢中になるような作品を作っていきたいです。

この大きさになっても、原田さんの作品だとすぐわかるっていうのも素晴らしいと感じました。そうした、作品をずっと作り続けるモチベーションみたいなものってなんなんでしょうか。



原田和明さん:今回これを作ってみたから次はこんなのを作ってみよう、という行為をずっと繰り返しています。たまに、卓球やウクレレ、チェスにハマったり…と脇道に逸れることもあるんですが。(笑) それでもいずれは元の道に戻ってきます。

原田めぐみさん:寄り道しながらも作っていたら、今回のように「作品集を出しませんか?」ってお声がけいただいたりして。いろんな人が助けてくれるんです。

原田和明さん:ときどき「脇道での経験がオートマタ作りに役に立つんですか?」って聞かれるんですが、役には立ってないです。(笑) 趣味に没頭している間は単に仕事が進まないだけです。

あともうひとつsomemoreな目標といえば「話せば長くなる」っていう本を出したいですね。どうでもいい話は、たいてい長くなりますから。


取材協力:B GALLERY
Photo:小財美香子 Text:浦川彰太

「カラクリを作る」

6月中旬。新宿はBEAMS JAPANの5階にあるアートスペース「B ギャラリー」では、オートマタ作家の原田和明さんの展覧会が行われていた。オートマタとは、ヨーロッパで生まれた西洋式からくり人形のことで、木のハンドルを回すことで動き出す想像の世界が、人々を魅了する。

2002年より原田めぐみさんと二人三脚でオートマタの製作をはじめ、昨年の2019年にはこれまでの作品をまとめた作品集も出版された。作品集をつくってからの展覧会は、今回がはじめてだという。山口県のアトリエから世界へ広がる原田さんに、展覧会のこと、作品のあり方について、「somemore」な話を伺った。


(作品集『話せば短くなる 原田和明のオートマタ』写真:鍵岡龍門)

 
原田和明さん:コロナの影響もあって、今年に入ってから作品集を知ってもらう機会が減っています。今回の展示が実現できて本当に良かったです。本が出版されてから初めての個展なので、タイトルも書籍と同じ『話せば短くなる』にして、本のお披露目という位置付けにしました。できればこの状態でいろんな場所で展示したいです。

展示は、作品が備える愉快なモチーフやストーリーの源流にある気品さを、そのまま実空間へ拡張したような設えとなっている。会場にはこれまでに制作した代表的な作品と合わせて、本展に合わせて作られた新作も並んでいた。

原田めぐみさん:しばらくはずっと工房から移動もできなくて、時間だけはありました。予想以上に新作は増えましたね。

原田和明さん:これまでの作品を40点ほど、新作も6点増えました。ほとんどのお客さんはどの作品も初見だと思うので、新作であるかないかはお客さんにとってあまり大事ではないと思います。だけど同じ作品を展示するだけでは自分が楽しめないので、誰に頼まれるわけでもなくいつも新作を勝手に作ります。新作を作らないほうが時間にも気持ちにも余裕ができるのに、気がつくとギリギリまで試行錯誤を繰り返して、ふと「なんでこんなに苦労しているんだろう?」となることもあるんですけど。今回は発表したかった作品が予定通りに進まず、東京へ向かう電車の中でもまだ調べ続けていて、さすがに「もう間に合わない!!」と心が折れそうになりました。

作品の制作ペースはばらばらだけど、早いものでは1日半で仕上がった作品もあるという。

原田和明さん:例えば、今回の機会で制作した「ソーシャルディスタンス」という作品は、アイデアを思いついてから形にするまでだいたい1日半でした。時事ネタを盛り込んだ作品って、当たり前だけどすぐに古くなってしまう。だから時間をかけずに発表したいっていう思いが強くて、わずか1日半で完成しました。アイデアを形にするのに、思いつく限り一番シンプルな方法を使いました。 

 
あと、今回会場の真ん中に配置したちゃぶ台返しの作品は手こずりました。コントローラーとロボットが先に出来上がって、あとは“ちゃぶ台”を作るだけ。いざ完成して試しに動かしてみると、“ちゃぶ台”がひっくり返らない。腕の力が弱いのかな?なんていろいろ試行錯誤してみたものの、どうも思うようにならない。それを見かねた妻が「ちゃぶ台が重たいんじゃない?」って言ってくれたんです。そこで形を変えて軽い素材にしてみたら、ひっくり返る確率がグンとあがったんです。 

 
 
原田めぐみさん:それでも時々ちゃぶ台が立つので、「テーブル脚に角度を付けて、天板より外側に出したらどうかな?」と提案したら、綺麗に「くるっ!」て。その瞬間は「ひっくり返った!ココだったんだ!」って二人で盛り上がりました。(笑)

 プログラミングや木工のフォルムよりも、ちゃぶ台の構造に苦戦するなんて作ってみないと本当にわからないですね。

原田めぐみさん:そうなんです! 何でもやってみないとわからないことだらけで。

原田和明さん:こういう時期の展示だからどうなるか不安もありましたが、みんなの楽しむ姿を見られて安心しました。今回、新作を工房で作っている時に、ふと『僕はこういう物を作れるおじさんになりたかったんだ』って気がして、なんだか感慨深かったです。いつも新作は一心不乱に作っているもので、完成後3日間ぐらいは使いものにならないくらい脱力しています。 
(次回に続きます)



取材協力:B GALLERY
Photo:小財美香子 Text:浦川彰太

その先を考えながら生きるために

前回の『絵に寄り添うということ』から、話題は自身の装いについて。 



現在フリーランスのイラストレーターとして活動しているナガノチサトさん。オンオフの切り替えや、よしやるぞ! といった気持ちを切り替えるときに着る定番服ってありますか?

「これといった服はないのですが、気持ちを変えるという意味でもまずは着替えます。でも、基本的にはデニムにTシャツとか、シンプルで着やすい服が多いです。」


今回ナガノさんに着ていただいたワンピースは、「linen trimmingワンピース/生成り」。
シンプルなんですが、トリミング部分に目の細かいリネンを使って光沢感を出したり、リネンの経年変化に合うように天然の貝ボタンにしたりと、somemoreのコンセプトに合った「もうちょっと」を加えてデザインされています。着られてみていかがですか?

「somemoreの服をはじめて着たんですが、着心地もいいし、動きやすくていいですね。長袖を下に着て合わせるのも良さそう。冬も薄手のニットを着て重ね着できますね。」


「あと、肩がジャストな感じがして合っています。普段、自分の着る服でこだわっているのはサイズ感で、細かな部分よりも、自分のサイズに合うかが一番の決め手かもしれません。可愛いと思っても肩のラインがイメージよりも落ちてるとか、袖の長さが微妙とかだと買うのに躊躇しちゃいます。でも、矛盾しますがサイズ感とか関係なく買っちゃう時もあって。『何でこの柄買ったんだろう?何に合わせようと思ったんだろう?』ってことは度々あります。これ何柄?みたいな柄を何着か持っています(笑)。」

気分によってこの色の服着てみようかな、とか選んでいる感覚でしょうか。

「そうですね、元気ない時ほど赤い服を着ると気持ちもあがるような気がして。」

「そういった見方でsomemoreの服を見ると、動きやすいしシワとか気にしなくていいデザインに見えるので、外に遊びに行く気分の時に着たいですね。どこに座ってもシワ気にしなくていいし、くるくるに丸めることもできるし。三ヶ月一回ぐらいしか着ない服もありますが、somemoreは毎週着る服に近いと思います。」

somemoreのデザインを手がけている森陰さんは『出番が多い服を作る』ことを意識してシャツを制作しているので、ぴったりだと思います。洗い方やシワなんかを気にせず着れるので、旅行や日々の普段着なんかにもってこいですね。

「その話を聞いて納得しました。旅先とかでも洗えそうですもんね。お父さんにあげようかな。」


最後の質問は、somemoreのブランド名にちなんで自分自身にとって「もう少し」先にある目標について。

「ちょっと抽象的な表現になってしまうんですけど、何でも今のことよりもすこし先のことを想像して行動したいなと思っています。今は仕事でもいただいた題目に対してパッと反射的に答えることもあるんですけど、もうちょっと奥にあることを想像させることが大事だなと思ってて。というのも、今って、なんだかイメージが足りない人が目立つよう感じるんです。ささやかなところでも。」

今のニュースを見ても、本質とは異なる部分で誹謗中傷だったり特定の人物を攻撃するようなことが起きていて、いたたまれない事件は少なくない。

「人に言葉をかける時とか、何かひとつの行動をする時とかでも、今そのときの勢いだけに任せちゃうんじゃなくて、この言葉を出したことで、その先どうなるんだろうってことも想像しながら言葉を使わないとダメだよなぁと思って。絵もその一環で先が想像できるものであるべきだと感じています。まずは自分が大切な人の幸せを願って生きていきたいです。日々の感情の奥を想像させるような、もうちょっと深みがあるような。そんな絵を描けたらいいですね。」


言葉を届ける手段や道具はどんどん出てきて、手紙のような、これまで考える時間が存在したのにそれを省いて伝えるスピードは速くなってる気がします。
現在のイラストレーションも、その速度にあわせて分かりやすさを目的に依頼することが増えつつあるのかもしれない。

「流れの早い時代ですが、自分が良い・楽しいと思った感覚やバランスはずっと成長していくものだと思うので大切に育てて、ひとつの形を、一本の線を丁寧に描いていきたいです。」

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

絵に寄り添うということ

今回、お話を伺ったのはイラストレーターのナガノチサトさん。ナガノさんにはsomemoreの次シーズンを飾るビジュアルを描き下ろしていただきました。その絵を囲むようにして座り、ざっくばらんに話を伺っていきます。 

「2019年の夏ぐらいかな、ブランド名の「somemore(もうちょっと)」をイメージした絵を描いてくださいって依頼をいただいて。私の中では『もうちょっとで届く』っていうイメージがありました。」

描かれている服は実際のsomemoreの服ですね。描きどころはありましたか?

「今回、ひとつの要素としてsomemoreの文字を入れてみたんです。この文字は一番最後に描いたんですけど失敗したら全部やり直しで危険だから、緊張しましたよ。普段は作品の中に文字を描くといったこともしないので。一気にいかないと迷ってしまうと思って一発描きで。それこそ「somemore(もうちょっと)」な気持ちでがんばりました。」

一発は緊張しますね。しかも中央にでっかく置くというのは。

「まっすぐに直線だと真っ二つにされてる感じもあるし。ただ、こう斜めに入れると形と形が重なってまた別の形が表れるような感じがしていて。そこがsomemoreの立ち位置と合うのかなあって。」

ナガノさんがsomemoreをどう表現してくださるのかとても楽しみでした。
どれくらいで仕上げたんですか?

「丸一日この絵を描くってことはないんですけど、合計してだいたい六日間ぐらいかな。ボールペンも4、5本使いきりました。ちょっとずつ塗りつぶして。」

大変ですね‥‥。ボールペンは何を使うんですか?

「めちゃくちゃ大変でした(笑)。ボールペンはみんな一回は使ってるんじゃないかな、シグノのボールペンです。3年程前までは鉛筆だったんですけど、描いてるうちに自分の手で消しちゃったり滲んじゃったりとかあって。それが味になったりもするんですけど今はくっきり残る形が気分ですね。高校生の頃は油性マッキーとかで描いてました。」
高校生! 絵を描きはじめつづけたのはいつ頃ですか?

「「描きはじめた」っていうのはすっごい小さい頃からで。ずーっと何かしらの延長線上でやってて、中学の頃に絵を描く仕事につこうと思って、美術に特化してる高校に入学したんです。高校では知識が豊富な人もいましたが、私は道具や絵の書き方ひとつとっても初めてのこと事ばかりで。なんか、私の周りにはいなかった人がいっぱいいてすごい刺激になって。それから専門学校へ進学して、みっちりやったりサボったり(笑)。卒業後は、バイトをやりながら絵にまつわる仕事をしていましたね。」
徐々に今へと結びついてきた。

「次第に仕事が増えてくる中で、『CREA』っていう雑誌から初めて連載のお仕事をいただいたんです。自分の中ではそこがひとつ節目だった気がします。毎月描かなきゃいけないので自分を鍛えられた感覚がありました。筋トレのようです。」

一気に作業のペースが上がった?

「一気に上がった…んだけど、仕事の量として一気に増えたわけではなくて、ちょっとずつ増えてる気がします。」

「以前は想像してた仕事の流れと差があったんですが、振り返るとこれで良かったんだなって。一気に増えても、力量も描く意味での筋トレもできてない状態だったんで、いっぱい来たらきっと受けきれなかった。だから、筋肉のつき具合を見られているのかなと思ったんです。それに合わせて依頼も来ているのかなって。今は着実にもらったことを丁寧に返していけば次につながるってすごく実感しています。」
少しずつ積み重ねていったものがつながっている。

「本当にご縁なんだろうなと思います。昨年は想像もしていなかったことが毎年のようにあって。こんなお仕事できるんだとか。今のこの状況ももちろんそうですね。」
この状況を想像していた人は一人もいなかったと思います。

「でもこういう時のために、SNSをやってるのもあって。一瞬の娯楽かもしれないんですけど、コツコツ更新していたら『ありがとうございました。いつも楽しみにしています。』っていうようなメッセージをいただいたんです。メッセージを送った方の地域も、状況がめまぐるしく変わって不安なはずなのに、暖かい言葉をいただけて嬉しかったですね。」
そういう見方をしてくださっている方がいるのは、励みになるというか、とても嬉しいですね。

「そうですね。そういう方が一人でも二人でもいてくれればいいなぁ。自分ができることってなんだろうって思ったんですけど、絵を更新する事で誰かの小さな楽しみが一つでも増えたらいいなと思いました。そんな風に思いながら、私はいつも通り毎日絵を描き続けています。」

今後の活動としては何か計画していますか?

「状況が変わらなければ、5月に福島で開催予定です。昨年、岩手で展示しませんかとお声がけくださって個展をしたんです。初対面の方だったんですけど、サイトの雰囲気や頂いたメールの文面から熱量というか、義理と人情じゃないですけど、人柄をすごく感じて。そういうのはとても大事にしています。」
個展や自分の絵がさまざまな場所と機会をめぐることで、日々の楽しみを増やしてくれるような役割を担ってくれそうですね。

「たくさんのきっかけになってくれれば。でも、今後描き下ろすときはあまり塗らないと思います(笑)。」
(次回に続きます)

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

自分を知っているからこそ、変わり続けることを楽しめる

前回の「つくり続けることで見えてきた、Less is Moreなかたち」の続きを本日はどうぞ。
音楽活動以前にはアパレル業の経歴もあったというクニモンド瀧口さん。服についてのこだわりも聞いてみる。 

「昔は髪の毛をオレンジにしたり、ラバーソールを履いたり、好きなブランドもすぐ変わったり…なんて時期もありました。服も古着からブランドまで何でも着てましたね。ただ、ある日コーディネートに疲れちゃって、最近はシンプルになってきたというか。仕事に労力を使いたくなってきたことで、どうしても服の優先順位が下がっちゃって。あまり考えたくなくなったのかもしれないね。ビンテージのリーバイス501のSタイプ履いて…じゃあ上にはこれを合わせて…とか。」

「でも服が好きなのは変わらないから、何に興味を持ちはじめたかというと、耐久性や機能性でした。それこそパタゴニアとかノースフェイスといったアウトトドアブランドは一時期すごい着てましたね。」

今回着ていただいたsomemoreのシャツは、ネルシャツの上に柄物のニットベストを着ているようなイメージの、レイヤードパッチワークシャツ。

シャツ メンズシャツ 襟
「僕が持ってるシャツはTシャツの上に着る、サイズ感がぴったりのものばかりだけど、somemoreのシャツはシャツの上からでも着れそうなサイズやデザインの印象がありますね。あと、シンプルだけど細部に工夫が施されているデザインが好きで、グレーのフランネルなんだけどジャガードの柄が切り返しで入ってる一工夫が可愛くていいですね。」

「あと、シャツを選ぶ際に意外と大事にしているのが襟の生地感で。くたっとしていて、立たない感じはあまり持っていなくて。そういった意味ではこのシャツは袖をとおした瞬間に襟の生地がしっかりしていて、綺麗に馴染むなあと思いました。初めて森蔭さんがデザインしたシャツを着ましたが、とても良いですね。」

「時代の流れ的にはタイトなシルエットから2018年頃からボックスシルエットが徐々に流行り始めてきてて。そういう意味ではこういうすこし大きめのサイズは気になってます。ちょうど90年代に着てたパタゴニアなんかも大きめに着ていたので、不思議と今着ても違和感ないデザインなんですよね。昔のパタゴニアとか引っ張り出してきては、よく着てますよ。」

今回の取材時にも大きめのコートを着て登場したクニモンドさん。コートと合わせたサイズのバランス感が印象的でした。

シャツコーデ コート
最後に、クニモンドさんにとっての「somemore」な目標を。

「音楽はもちろんのこと服も好きだし、アートも好き。やりたいことはたくさんあります。でね、突拍子もないことやったら面白いかなと思って、10年くらい前にふと俳優になろうかなと思ったことなんかもあったんですよ。結局実現はしてないんだけども、今の時代ってそういうことも実現しやすくなってきた気がします。そんな『何をしたら自分にとって面白いか』ってことは常に考えています。」

「あとは、50にもなるとどうしても慎重になって一歩が踏み出しづらくなってくるので、新しいことに挑戦している同世代を見て素直に『すごいな』って思うことがあります。そこには尊敬もあれば羨ましさもあって。そういう意味では自分の仕事の仕方を改めて考える時期なのかなと思っています。今のこの時代、会社員であることがすべてではないと思うし、『若い人が変なことやってるよ』なんて口出しするんじゃなくて、僕も同じように思い切って何かやってもいいよなって思ってます。」

somemoreというブランドも、デザイナーの森蔭さんがsomemoreだからこそ実現できることをやる、という背景から生まれました。
もしかしたら、その「何か」を探し続ける日々こそが充実し、楽しいのかもしれません。

クニモンド瀧口 シャツ インタビュー
そして、思い切って何かやってみる事のひとつに、自身の音楽活動もあるとか。

「僕らの世代って、ちょうどいい立ち居位置にいるなと思ってて。上の世代には60代の山下達郎さんや70代の細野晴臣さんがいて、下の世代にはceroの高城くんだったりLUCKY TAPESっていうミュージシャンたちがシティポップをやりはじめてる。ちょうど僕らは中間に位置していて、最後のリリースから10年も経ってしまっているけど。笑 今年は何か出せるように頑張りたいですね。」


Photo:小財美香子
Text:浦川彰太					

つくり続けることで見えてきた、Less is Moreなかたち

好きなものにずっと興味をもっていたら、ここまで来れた。これまでの活動をさらっと話してくれたクニモンド瀧口さん。
自身のプロジェクト「流線形」を2003年に開始。最近ではプロデュース業や楽曲提供、選曲など、音楽活動を中心とした話がどんどん出てくる。 
さまざまな経験を持ったクニモンドさんだけど、自身の音楽活動においては「somemore(もうちょっと)」よりも、「Less is More(より少なく)」という視点を常に持っているという。それは、とあるレコーディング時のできごと。 


話を聞いたのは、クニモンドさんが行きつけのカフェ「nico」。
夕陽が差し込みゆっくりとした時間が流れる店内で、これまでの活動を聞いた。


「僕自身の音楽活動は『流線形』というバンドがあって、2003年、2006年、2009年とアルバムをリリースしています。それから10年も間が空いてしまっていますが。他にはプロデュース業や楽曲提供、アレンジなど、色々やっています。」 

「プロデュース業の中でも特に話題になったのは2012年にプロデュースした一十三十一さんのアルバム『CITY DIVE』のときだったかな。当時ビルボードレコードから発売されて、スマッシュヒットしたんです。それからプロデュースやアレンジャーといった類の依頼が増えてくるようになりました。同時に、そのアルバムで現在のシティポップの原型のようなものも出きてきて、シティポップミュージックにまつわる連載やインタビューに呼ばれるということが増えましたね。」 

現在のシティポップの流れをつくったクニモンドさん。さらに遡ってみると、小学生・高校生と学生時代での出会いが今を大きく形にしていたそう。 

「小学生の頃はフォーク/ニューミュージックっていうジャンルの音楽が流行っていて、山下達郎とかすごい聞いていました。リアルタイムで流行っていた経験は何よりも大きいですね。もちろん洋楽やジャズ、ソウルミュージックなんかも聴いてきましたし、ジャンルなんて尽きないんだけど、今だに好きで聞いてるのはフォーク/ニューミュージック。」 

「それから話は高校時代にまで飛ぶんですけど、録音機材やキーボードなどの楽器機材テクノロジーが加速的に発達したんですよ。比較的安い録音機材を自分が扱えるなんて思ってもいなかった。それまでは録音するにもラジカセを二台向かい合わせで置いて、一台はギターの弾いている音を、もう一台はべースの音を流すといったことをやっていましたからね。あの頃はとにかく音楽を作りたい欲求が強くてどんな条件でも関係なかった。カセットテープのスピードがばらばらだったから、いちいち調整しなきゃいけないのは大変だったけどね。ただ、今考えるとそういう苦労こそいい経験だったのかなと思いますよ。音楽を録音をしはじめたのは高校生一年生の頃からでしたね。」 


音楽を「きく」から「つくる」へ。そして音楽作りは自身の活動として広がっていくことに。
流線形の活動もあれば、プロデュース業やDJ活動などなど。なかでも特に印象に残っていることは、2003年にはじめてアルバムを作った時のできごと。 

「最初のアルバムを制作したメンバーは、僕と僕の影響を受けて山下達郎が大好きになった後輩と、林さんという3名でした。僕は右も左もわからない状況だったんだけど、林さんは既にプロとして長年活動していたからものすごいノウハウがあって、レコーディングの様子を見よう見まねで学んでいました。その時に学んだことのひとつが今でも生きていて、『引き算をすること』でした。サビ=盛り上がるものだと思ってた僕は、音をいっぱい詰め込んで音色を厚くしがちでした。けれども林さんは『サビは何を聞かせるかが大事だから、音をたくさんに入れる必要はない』って教えてくれて。あ、引き算なのにこんなに盛り上がるんだっていう感覚をはじめて理解しましたね。」 

「ちょっと話がずれちゃうんだけど、髭剃りとかで有名なBRAUNっていうブランドがあって、そこでデザイナーをしてたディーター・ラムスという方が『Less is More』という言葉をよく口にしていて。彼は引くことによって本来描きたいものが表れてくるって考え方で、ジャンルは異なれど自分のやりたい音楽と近いと思いました。」 


完成した1stアルバム『シティミュージック』は発売後、数多くの反響があった。 

「僕と同じようにシティポップが好きで、山下達郎が好きでっていう人がたくさんいたことを知れた。もちろん評価は様々だったけど、世に作品を出すことで聞けないはずの声を知れたことは大きかったかな。趣味の延長でやったことだし、1枚出したら終わりにしようと思っていたけど、こんなにも聞いてくれる人がいるならやってもいいかなと思えるようになって、二枚目を作ることに決めました。その延長線上に今があります。もしそこで終えたとしても、今も自分だけが聴く音楽を宅録で録り続けているんでしょうね。」 
  
(次回に続きます)
 
Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

日々の生活や仕事を満たしてくれる、道具と服。

前回の「仕事も生活も、面白いことで満たしたい」の続きを本日はどうぞ。 

現在はロサンゼルスを拠点に働いている「HIGHTIDE(ハイタイド)」の棟廣祐一(ムネヒロユウイチ)さん。実際にこれまで手がけた商品について見せていただきました。 



 「これは定規の端にクリップの機能を付けた道具です(中)。冊子にはさめば栞にもなります。言葉で説明したら大したことないんですけどね。これなんかはアメリカのホームセンターで売っているギフトカードを入れるブリキのケースを作っている工場の在り型を流用して作りました(右)。このノートはPAPIER LABO.(パピエラボ)と一緒に、寒冷紗っていう製本時に補強で使われる布を前面に貼ってつくたものです。(左)。」 


「ハイタイドは自社工場を持っていないので、アイデアを出してオリジナルで作ってもらう製品もあれば、工場が持っている型をベースに色を変えたり、デザインを加えたりして製品に仕上げるものもあります。こういったネタは常に探していますね。」 
 
商品を企画したり探したりするときは、ハイタイドらしさのようなものは意識するんでしょうか。 
 
「よく『ハイタイドっぽいね』と言われることがあるんですが、自分たちでは実感がなくて。卸先も多岐にわたっているので、むしろまとまりがないのではと悩んでいました。意識していたことといえば、ちょっとしたディテールやデザイン、素材感で他と違う演出をしようっていうことです。少し遊び心があるもの、色は少し曇らせてみたりとか。」 
 
 
普段着についても伺いました。  
 
「プライベートと仕事では、服は全然変えないですね。基本的にはTシャツばかり着ています。あと、ボタンを閉めずに着れるコートや羽織りものなんかが好きです。今回、somemoreのシャツに腕を通して、久しぶりにシャツを着た感覚がしました。」 
 
棟廣さんに選んでいただいたシャツは、タイルをモチーフに仕立てたタイルパッチワークシャツ。タイルと目地の直線と凹凸感を、ネイビーのギンガムチェックとストライプ生地を接ぎ合わせてデザインされています。ポケットは、ペンが入れられるペンポケットと一体型になっています。
 

 
「普段はすこしオーバーサイズ気味で着ることが多いんですが、somemoreのシャツはすこしゆとりをもって作られているのか、Mサイズがしっくりきました。普段は古着が多く、その中でもワークっぽいものや軍ものに惹かれます。なんとなく前使っていた人の雰囲気を感じられるクタッとした感じが好きで。新しいものを買うときも、シンプルなものよりもちょっと遊びが感じられる物が好きかもしれません。」 
 
話を聞いていると、何事も商品を選ぶような見方をしているように感じます。そんな視点で常に物の見方をしていると、つい仕事のことを考えすぎて疲れてしまいそう。  
 
「それが本当に仕事と遊びの境目がなくて、性格が鈍いのもあってストレスを抱えたことがあまりないんですよね。それでいいのか分からないですけど、あまりくよくよ思い悩むことはありません。もうちょっとオン・オフをピシっと切り分けることが良いのかなと思いつつも、自分が生活している中で気づいたことや面白いと思ったことを、仕事を通して人と共有したいという思いが強いのかもしれません。」 
 
「あと、基本的に気になったら動いちゃうんですよね。アメリカの出店も同じで、面白そうだなと思ったら、結果が想像できなくても片足突っ込みたくなっちゃうんです。」 
 

まだ見ぬものに出会いたいという好奇心がそうさせているのかもしれません。最後に棟廣さんにとってのsomemoreな目標を教えて下さい。  

「ハイタイドや日本の文具・雑貨のメーカーが日本でやってきたことを、アメリカで紹介していきたいということですね。アメリカってすごく合理主義で、文房具については書ければ良いっていうスタンスなんです。だけど、文房具を使って感じるフィジカルさというか、自分で書いた文字を見返したときに、書いた当時の気分や調子が蘇ってくることってありますし、そういうアナログの強さってスマホやPCが便利になっても相変わらず備わっていると思うんです。それって、日本人だからとかアメリカ人だからとか関係なく、人として備わっている感覚だと思うんですよね。文房具を売っているってことはそういった見方も売っているんだっていう気持ちもあります。」 
 
somemoreのコンセプトにも、ちょっと気持ちが上がるというコンセプトが込められています。普段使う道具や服をちょっと充実させることで、日々の生活や仕事を満たしてくれる。somemoreとハイタイドの素直な気持ちは重なっているように見えました。  

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

仕事も生活も、面白いことで満たしたい

今回話を聞いたのは、手帳や雑貨を取り扱うメーカー「HIGHTIDE(ハイタイド)」の棟廣(ムネヒロ)祐一さん。現在はロサンゼルスを拠点に活動しています。 

「出たり入ったり、気がつけば15年近くもこの会社にお世話になっています。」  
 
淡々と話す棟廣さんの言葉から感じたのは、境界をあまり感じないという事。仕事も生活もどちらも同じくらい楽しそう。その根底には何があるんだろう。何事も楽しむハイタイドの精神を、東京は恵比寿の支社でお聞きしました。  


 
20年ほど前、もともとは営業職で入社した棟廣さん。その後商品企画に携わり、11年ほど勤めた後、ひとつの転機が訪れます。  
 
「ちょうどその頃、ご縁があって糸井重里さんが主宰する『東京糸井重里事務所(現ほぼ日)』に転職することになりました。そこで働いていた時期は自分にとって大きな転機でしたね。」  
 
さまざまなものづくりをはじめ、商品の伝え方、働き方など…。ほぼ日では、ちょっと見方を変えることであらゆる物事が新鮮に感じられました。   
 
「ほぼ日での4年間は、会社で働くという感覚よりも、学校に入ったような気分でした。それまでは商品を買ってくれるお客さんや卸先が、ぼくらメーカーよりも立場的に絶対に上だと思い込んでいたんです。しかし、ほぼ日での働き方は組織やお客さんに対して良い意味でフラットでした。なによりも糸井さんの言う“クリエイティブがイニシアチブを持つ”ということを身をもって学びましたね。自分で面白いことを発信し続ければ、自ずとお客さんも付いてくるということを実感しました。」 
 
「お客さんと商品の関係を見て、なんだかとても楽になったんですよ。そうだよなって自然と納得している自分がいました。」 
 
面白いことを発信し続ければ自ずとお客さんも付いてくる。だったら、今まで自分が面白いと思っていた物でも実践してみたいと思うことも不思議じゃない。   
 
「そんなとき、古巣であるハイタイドの創業社長から『会社を一新するんだけど、また一緒にやらないか』と連絡をいただいて。以前とはまた別の形でハイタイドの役に立てるかもと思って戻ることにしました。」 


 
再びハイタイドに戻ってきてまず取り組んだのは、福岡で直営店を開くことでした。  
 
「ハイタイドは卸業をメインにしているので、スタッフも実際に商品を購入してくださるお客さんの顔が見えないまま各々仕事をしていることが勿体ないと思っていました。また、福岡で創業して25年になるのですが、ハイタイドのことを知っている地元のひとの数は決して多くはなかったんですよね。」 
 
自分がいた場所を一度外から眺めたからこそ見えてきた課題。そうして2017年に福岡の本社の元倉庫だった1階を改装し、直営店「HIGHTIDE STORE」をオープンしました。  
 
「ただのメーカーのアンテナショップという位置づけではなく、ちょっとしたドリンクを出して、友人や近所の人が気軽に寄れるたまり場みたいな場所を作りたいと思いました。あと、福岡には個人で面白いことをやっている人が多かったので、そういう人たちをつないで新しいことが生まれるプラットフォームのような場所にもしたかった。」 
 
「店舗を手掛ける経験は皆無だったので、実際にお店を動かしてみると、文具って売っても売っても儲からないなあとか、数字や目で見えない価値の部分を社内で共有することのむずかしさだったり、モヤモヤすることも多々ありました。だけど、徐々にお客さんも売り上げも増えて、今まで接点がなかった異業種とのコラボレーションの話なんかもいただけたり、場所が持つことの意味合いはスタッフのみんなも感じてくれてると思います。」 
 

 
「それから色々あって、アメリカにも会社と直営店ができたんです。」と、話は一気に飛躍します。  
 
「2017年の暮れにロサンゼルスのダウンタウンにあたらしくできた商業施設に出店しないかと知人から話を持ちかけられて。小売りだけでは難しいけれど、アメリカでの出店を足掛かりに海外での卸売りを自分たちでやってみたいと思いました。というのも、国内の雑貨市場は大手が次々と地方へ出店する流れが増えてきていたんです。そうすることで個人規模でやっているいいお店がどんどん減ってきてしまって、大手の食い合いみたいななかでうちも売り上げも伸び悩んでいたし、大手での売れ筋を追う流れがうちのものづくりにも出てきていました。同時に海外からの引き合いも少しずつ増えてきていたタイミングだったので、遅かれ早かれ外に出ていかないといけないだろうなと漠然と感じていたのと、新しい場所で自分達がやってきたことを試してみたいと思うようになったんです。」  
 
とはいえ、国も文化も異なる場所での出店は、国内での出店とは大きく訳が異なりました。 
 
「何もかもが未知で、勢いだけで出てきてしまったので、海外で商売をするにはまず現地法人を作らなくてはいけないということも恥ずかしながらアメリカに行ってから知って。まず、急いでアメリカ法人を立ち上げました。店舗はすでにテナントの場所は決まっていたのですが、内装を進めるにあたっても、どの業者がいいのか、どういう工程を踏んで、どこにどういう許可を取らないといけないのか、誰に何を相談すればいいのかすら分からなかった。結局、地元福岡で懇意にしている工務店の社長が協力してくれることになって、一旦全部日本で作った什器や内装資材を日本からコンテナで運び、施工も工務店の社長はじめスタッフの方々がアメリカまで来てくださって、みんなで一緒にアメリカで組み立てました。」   
 
「それでも途中で検査員が視察に来ては工事を止めろと言われたり、材料について何度も確認されたりして。結局現場でも何度もホームセンターに資材を買いに走って、修正箇所は現場で作るというかなり骨の折れる作業でしたね。」   
 
ようやくお店がオープンしたのは、2018年の夏。 
 
「なんだかんだ壁にぶつかりながらも、いろんなひとに助けられてなんとかオープンして今に至ります。オープンから一年ほど経って、徐々にお客さんも増えてきて、わざわざ車で3時間かけてお店にきてくれる方もいました。」 
 
お店を通して、なんだか楽しそうなことをやっているなって印象が生まれたんでしょうね。 
 
「思えば、ほぼ日でも自分達が面白いって思うようなことを実行して、それに人が引き寄せられて。そんな循環をハイタイドでも作ろうと思ったのかもしれません。」 
 
(次回に続きます) 

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

気持ちをつくる編集志向

前回の「本を生み出す編集思考」の続きを本日はどうぞ。

書籍編集を中心に活動する川尻大介さん。コレクティブな働き方へ変化すると同時に、服装についても考えることが。 
 
「サラリーマンだった経歴と関係しているのか、会社に所属していた時は、当たり前のようにネクタイをしめて背広を着ていたので、自然とTPOをわきまえた格好になってしまうんです。クライアントとの打ち合わせにスニーカーなんてありえない! というふうに。」  
 
「たとえば今、博物館のリニューアルプロジェクトに携わっているのですが、関係者が多く打ち合わせの場面もさまざま。そんなとき、今日の会議に見合った格好ってどんなだろうって。会社を辞めた後で本当はそんなこと気にする必要はないのかもしれないんですけど、どうもできない。」  
 
服装によって、気持ちをつくり込んでいるのでしょうか。  
 
「そうかもしれません(笑)。あとは自分の主張をしっかり通したい場面ではきちんとした格好の方が対等な議論がしやすいですし、スーツをニュートラルに持っておく感覚ですね」  



その他にも服装についてこだわりはあるのでしょうか。  

「細かなところですが、Tシャツはリブが補強されているものを選ぶとか。最近は量販店のものも改良されていますが、コムデギャルソンのものは首回りが伸びないように昔からすべてそうなっている。すぐに傷んでしまうものはいくら格好よくてもちょっと躊躇しますよね。」 
 
デザインというよりも機能面を大切にしているんですね。  
 
「ファッションブランドへの憧れだけで選ぶのはどうも違うなあと思うんです。やっぱり長い時間をかけて一つのものを作り続けるなかで培われた経験が必要だと感じる。それは出版社にいてもそうでしたし、そこから離れた以上、自分のものづくりにおいても必要なことだと思っています。」  
 
「それで言うと、somemoreのシャツって、デザイナーの森蔭さんが手がけるもうひとつの『モリカゲシャツ』との関係性の中で位置付けていると思うんですが、そこにはちょっとした遠慮のようなものがあって、どちらかというと『someless』なんじゃないかと思うんです。」  
 
「つまり作りたいものをどんどん作って片っぱしから売る、ということではなくて。そこでしか手に入らないものを、身の丈にあった数だけつくってみる。そんな姿勢がとても良いと思いました。」 

 

最後にsomemoreな目標があれば教えて下さいと聞くと、意外な答えが返ってきました。  
 
「これは具体的な出版事業や形のある目標ではない、漠然とした話になってしまうのですが、これからは数字に拠らない価値みたいなことをもうすこし考えていきたいと思っているんです。」 
 
「たとえば本が何百冊売れましたというときに、それはもちろんひとつの指標になりうるんですが結局数字で判断している以上、それ以上の手ごたえを得ようとするならば、もっと本を売るしかなくなる。でも自分たちのやる気を支えるものってそもそも数字で測れるわけない。サラリーマン時代を振り返ると、数字に拠って価値を測ることになれっこになっていて、目の前にあることの深みを感じとれなかったなと反省するんです。」 
 
「そういうことを考え始めるきっかけは1年ほど前に始めた水泳だったりするんだけど。」 
 
水泳、ですか。   
 
「そう。それでも、泳いでいて今月は何キロ減量したとか、何キロ泳いだとか成果を数字で測っている自分がいるんですよ。水泳を始めたのも旅行先のプールで久しぶりに泳いでみてすごく楽しかった、それだけのことなのに。些細なことかもしれないけれど、数字って自分たちの意欲を上げてくれると同時に、減退させるものでもあると再認識したんです。」  
 
「だから泳ぎはじめてからは、安易な成果主義に陥らないことも大事なんじゃないかなと思うようになってきました。今日はもうちょっと早く泳ぎたいとか、隣りの上級コースで泳いでいるあの人を目標にしてみよう、とか。」  
 
言葉にする上でも数字はわかりやすい指標のひとつにもなるので、自分もついつい使ってしまいます。 
 
「ふつうに生活している以上、誰しも数字に縛られてしまう場面ってあると思うんですが、そういった時に、どうやって意識を変えられるか考えてみると、somemoreな話につながってくるんじゃないでしょうか。だからこそ、数値的な前提から離れて、ちょっと違う基準を求めていけると面白い思考が広がるような気がしています。」 


Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

本を生み出す編集思考

過去2回のsomemore peopleでは、「somemore」な精神でイラストや絵本、ワークショップなど、「つくる」人にフォーカスを当ててきました。今回はそうした「つくる」作業の手前でものづくりに携わる編集者、川尻大介さんに話を伺いました。



「ぼくにとっての『somemore』を見せてもいいですか?」 

そう話すと、川尻さんは後ろの本棚からこれまで手掛けてきた出版物を取り出して、一つひとつの本に込められた思いや、完成に至るまでの道のりを丁寧に話してくれました。全2回でお届けします。

インタビューは都内にある、川尻さんが所属する編集事務所にておこなわれました。仕事場であるデスクは様々な書籍で囲まれています。きれいに陳列された佇まいから、本好きな気配が多分に感じられます。

川尻大介さんは建築書を専門とする鹿島出版会を経て、現在は編集プロダクションの一員として働いています。

そもそも編集という生業に興味をもったきっかけは、学生時代に出会ったある雑誌だったそう。

「僕が学生の頃に、建築家の馬場正尊さんが発行していた『A』という雑誌があったんです。毎号オリジナリティのある特集で、なにより建築ジャーナリズムと一線を画す誌面づくりのアプローチが伝わってきました。そのときに、こういうものを作るには編集者という役割が必要なんだと知りました。」

そんなとき、期せずして他大学で建築を学ぶ仲間と『A』の誌面づくりに関わることに。以降、本作りという活動が仕事へと繋がっていきます。

「出版の世界に少し足を踏み入れたとき、ぐっと向こうから引き寄せられるような力があったんです。そういう手ごたえってふつうそうない。デザインや建築、設計とはちがうものづくりの世界の片りんに触れられたのかなと。今思うとささやかなことだけれど、あの頃の僕にしたらとても大きなきっかけでした。」 



気がつくと出版社には16年勤め、多くの書籍を手がけてきました。転機だったのは2018年の夏のこと。 

「そのころ『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』という出版企画の制作が追い込みでした。若手建築家を集めて3カ月に1回ゼミナールを開講し、スライドレクチャーやディスカッションがおこなわれる連続講義の記録で、ぼくも講義にはすべて参加していたんです。」

「しかし、最後の出版物にまとめる段階で親会社の広報室に出向となってしまったんです。ブックデザイナーの造本設計まで完了していましたし、あとは形にする段階でした。幸い信頼できる同僚に後を託すことができましたが、自分のキャリアの中でも重要な位置付けになる本だと考えていたので、断腸の思いでした。」

出向先で一年が経過するころ、会社を辞め、編集者としての新しい可能性を探るためにコレクティブな動き方をしていくことを決意します。

「目指すべき目標のひとつに出版がありました。とはいえ、出版業界は新規参入が非常に難しい分野でもあります。本づくりのノウハウがあるとはいえ、既存の出版社のように大手取次を介した流通を期待しても新参者は門前払いを喰う。一朝一夕でできることじゃありません。」

新規参入が難しい世界にあえて挑戦する理由はなんでしょうか。 

「自分の『編集思考』を生かす道はやはり出版だと思うからです。編集者として十数年働くうちに、身の回りにあるいくつかの話題や関心のある物事を結びつけて考えるようなスタイルが自然と身についていました。このテーマ同士をこういう風に組み合わせればこんな本ができるという具合にアイデアを展開する型のようなものがあったりする。」

実際に今まで手掛けてきた本について話を伺うことに。一冊ずつ内容や仕様について話す姿勢からは、対象となるテーマを徹底的に調べあげ、丁寧に整理されて形にしてきた編集思考が感じ取れます。

そして一通り紹介をいただいてから言われたのが、冒頭での一言でした。

「さまざまな本を形にするなかで、ときどき著者へプレゼントするための特装版もつくっていたんです。最初は製本所にも協力してもらっていたのですが、ワンパターンになるのを避けるために自分でも色々と工夫をこらすようになってきて。」 

「たとえば『日土小学校の保存と再生』では、本のサイズになっているB5判がきれいにおさまる既製品のケースを買って、口絵に用いられている小学校の写真を外側に貼って仕上げました。この写真は制作の過程で生じた色校の再利用です。製本される前の面付けされた状態で切り貼りしているので、すべて1点ものです。このケースに、写真家が制作したオリジナルプリントを添えて部数限定で販売したところ、手作りながらすぐに完売となりました。」 





著者のために自分が仕様を考えて表情を引き出す工夫は、少し豊かになるというか、つくった本のためにも大事なことのように思います。

川尻さんの話を聞くにつれて、なんだか自分もぐっと編集思考の世界に引き寄せられる力を感じました。

(次回に続きます)

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

使い方の楽しさを見つける“ものさし”

「tupera tupera(ツペラツペラ)」は、亀山達矢さんと中川敦子さんによるユニット。現在は京都を拠点に、絵本やイラストやワークショップ、舞台美術など、様々な分野でご活躍されています。今回は自宅兼アトリエにお邪魔させていただき、「somemore」な話を伺いました。
前回の「イレギュラーを楽しむ」の続きを本日はどうぞ。

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お話を聞いているテーブルの横には、ツペラツペラさんが今まで手がけてきた作品たちが綺麗に陳列されていました。見覚えのある商品から、クスッと笑ってしまうようなユニークなプロダクトたちを眺めていると、思わず時間を忘れてしまいます。

亀山さん:このタコの靴下なんかは、その辺に脱ぎっぱなしにしてても可愛くなるんですよ。打ち上げられたタコみたいでしょ(笑)。あとは王様の王冠が豆皿になっていて、飲み物の上にお菓子も置けるからお客さんへ出す時に便利なんです。 

次々に紹介してくれる商品たちを見ると、ほんのちょっとした工夫で何気なく見ている物がすごく面白くなるというこというのがわかります。なんだか、仕事と遊びが一致しているようで制作している本人たちも楽しそう。

亀山さん:ただ、僕らがつくるものは結局つかってくれる人がいるから成立すると思っています。絵本も人が読んで成り立つものじゃないですか。読み手によって意味や読み方も変わってくるものです。ぼくもイベントなんかで回っていると、いろんな読み方や受け取り方をしている人がたくさんいて。その反応が楽しいんですよね。 



自宅内にアトリエを構えるツペラツペラさん。遊ぶように働くなかで、制作と生活の区切りはどうしているのでしょうか。作業着に着替えたり、決まったルーティンなどあるのでしょうか?

亀山さん:たまにエプロンをつけて作業をしていますが、どうも肩がこっちゃうので多くはないですね。服装も特に決まっていないです。

中川さん:逆に制作している時はオンじゃないというか、なるべくリラックスできるような服装でいるようにしています。私は外出するときなど、イアリングをつけると気持ちがオンになります。

亀山さん:僕の場合は帽子ですね。帽子とメガネは気持ちを入れるアイテムかもしれません。指輪や時計は身につけないですね。左右のバランスが崩れるのが嫌なんです。つけるんだったら両腕につけたい(笑)。 

「普段、シャツはほとんど着ないんです」と中川さん。しかし『ikamuneパッチワークワンピース』はとても愛用していると話します。

中川さん:これだとワンピース感覚で着れたり、コートのように上から重ねて着こなせるのでいいですね。普段も無地の服よりもワンポイントで何かデザインされていたり、何か工夫が施されている服を選ぶことが多いですね。あとはワッペンやバッヂ等もワンポイントでつけることが多いです。



また、somemoreは建築家である滝口聡司さんと一緒にはじめたブランドということもあり、シャツの模様にも階段のようなアイコンがデザインされています。

中川さん:建築っていう視点で見るとシャツの工夫がいろんな風に見えてきて面白いですね。ポケットが窓のように見えたり、ワンピースの胸元のパッチワークも、間取りのように見えてきますね。

亀山さん:世界の名建築の間取りをデザインしても面白くなりそう。



気がつけばおもしろいアイデアが湧き出て話が尽きず。インタビューで盛り上がったアイデアが実現するのをたのしみにしています!

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

イレギュラーを楽しむ

tupera tupera(ツペラツペラ)」は、亀山達矢さんと中川敦子さんによるユニット。現在は京都を拠点に、絵本やイラストやワークショップ、舞台美術など、様々な分野でご活躍されています。今回は自宅兼アトリエにお邪魔させていただき、「somemore」な話を伺いました。全2回でお届けします。



取材をする前、おふたりが「やなせたかし文化賞」の大賞を受賞されたというニュースを耳にしました。漫画家やなせたかしさんの遺志を継いで創設され、子どものための優れた漫画や絵本、作詞作曲などを対象とした賞です。

受賞おめでとうございます。

中川さん:ありがとうございます。やなせたかしさんの想いがこもった賞の、第一回目に選んで頂いたことは、非常に光栄で嬉しく思っています。やなせさんは、漫画だけではなく、三越のデザインや舞台美術、作詞など様々な取り組みをされてきた方でしたので、私たちが幅広い活動をしているということも、評価していただけたのかなと感じました。

tuperatuperaとして活動をはじめて今年で17年目。それだけ展示やWSなどの企画を積み重ねて、ちょっと休憩しようかな、という気持ちはうまれなかったのでしょうか?

亀山さん:いろいろ締め切りが重なって来たりすると、1ヶ月くらいどこかに逃げたい!と思うこともありますが(笑)、基本的には、自分たちが好きなことを続けているのでストレスはないし、面白いお誘いが来ると、ちょっと無理してでも、やってしまうんですよね。

こどもの頃から、先々を思い描くような性分でもなかったんです。幼稚園のころの卒業文集の夢に『忍者レスラー』になるって書いてあって(笑)。で、思うんですけど、昔から先のことを考えすぎずに目の前のイレギュラーを楽しむ性格なんだと思います。

イレギュラーを楽しむ。

亀山さん:来年は誰と出会ってどういうものをつくるとか、どこの地域に呼ばれれて何をするとか、考えてもわかんないじゃないですか。だったらその状況を楽しむしかないなと思って。その結果が今につながっているんだと思います。

と話したそばで、お子さんが亀山さんの椅子をまわしはじめ、そのイレギュラーさに思わず場が和みます。



「毎回異なる仕事を異なる人と組む。その場で生まれるものを素直に受け入れ、楽しもうという気持ちが制作のモチベーションとなっている」と話す亀山さん。

たとえば、と言って見せてくれたのは、実際に触れることができる紙の実体験を盛り込んだ雑誌「ぺぱぷんたす」。

亀山さん:『ぺぱぷんたす』は編集者さんとデザイナーの祖父江慎さんから、『紙でおもしろいものを作りたいんだけど』という相談からはじまりました。紙の可能性を感じられる雑誌というのがテーマだったので、影絵や切り絵のようなアイデアをページに展開しました。



ほかにもイベントやワークショップもあれば、舞台の仕事もやっていますし、昨年は細田守監督に誘っていただき、映画『未来のミライ』のキャラクターデザインにも初挑戦しました。現在取り組んでいるものとしては辞書の装丁なんかもあります。本屋さんに行くと辞書コーナーに辞書がズラーッと並んでいるんですけど、どれもあまり差がない。そこで、棚にささっていても、本の個性がでるようなアイデアを考えています。

みんなが、ぱっと見て驚くものや、なんだか気になって手にとってしまうようなものを作りたいと常に思っています。

そんなアイデアのひきだしが、話していくうちに次々と開いていきます。

(次回に続きます)

Photo:小財美香子
Text:浦川彰太

形なきものを表現していく、見えないチカラ

今回は、今期のブランドイメージビジュアルを描いたアーティストの牛木匡憲さんにお話しを伺いました。


漫画やアニメ、特撮などの表現をベースに時代や媒体に合わせたビジュアル表現を発表し続けている牛木さんは、常に新しいスタイルを更新し続けていると話します。 

「イラストレーターという肩書きひとつとっても、同じ内容の仕事をしている人はいません。先輩と同じことをやっても成功はないし、去年の自分と同じことをやってもダメだと思っていて。ロールモデルがあるようで、実は常に絶妙なバランス感覚が求められると思います」 

たとえば、インスタグラムで毎日更新しているポートレートシリーズ『VISITORS』は、仕事とは関係ないところからはじめましたが、今ではさまざまなグッズや企画へと展開されています。

「『VISITORS』シリーズは毎日更新しているので、大変だなと思う日もあります。だけど、そういうときこそもうちょっと頑張ることで自分の限界を超える瞬間に出会えるんです」


『もうちょっと』と積み重ねてきた努力は、思いもよらぬ仕事へつながっているそう。 

「『VISITORS』はでんぱ組.incのCDジャケットからテニスコートのコントライブビジュアルへとつながり、さらに別の仕事へとつながっていきました。想像もしない仕事へと導かれるのは、良い化学反応だと思いました」

 「でも、結局は化学反応のような目に見えないチカラに背中を押されている気がします。そういうチカラをいくつ持てるかが、形のないものを表現する世界では大切なように思いますね」


ビビットな色彩が目を引く今回のイメージビジュアルについても話を伺いました。

「勝手なイメージですが、クリエイターって全身真っ黒になりがちですよね(笑)。僕自身、昔は花柄や宇宙柄といった派手な服が好きでよく着ていたのですが、年を重ねるにつれて似合わなくなってきていました。とはいえ、全身真っ黒も自分らしくない。」

「somemoreのシャツは手仕事感や細部にこだわっている気持ちがデザインから伝わってきて、ちょうどいいなと思いました。メインビジュアルに描いたイラストは、somemoreの服を着たときの気持ちを表現しています」

全身を描いたイラストのシリーズには、他にもこだわりが。

「遠くからみたとき、最初に柄の印象が入ってくるような工夫をしています。なので女性を描いてもマスクをつけたり目だけの描写だけだったりと、『VISITORS』とは逆の表現をしています。あとは戦っているような、勢いを感じる前のめりの姿勢が多いです」


さいごに「もうちょっと(somemore)」先に描く目標についても伺いました。

「一石を投じる仲間というか、チェンジメーカーのような立場の人を見つけたいと思っています。今、小さな業界を大勢が争っている状況で、新しい領域を広げようとする人が少なくて。上の世代も自分たちがトップでいるようなピラミッド構造を保ち続けている気がして。嫌われてでもいいから、あたらしい領域を開けていきたいなと思っています」


Photo:小財美香子
Text:浦川彰太